なつなつ雑記帳

It`s My Life.

【日常】西と雷鳴の話

西の。西の。その更にまた西の、西の果てで。

雷鳴が轟けばいいと願う。

 

交わせば良かったと思う言葉がある。

歩く道すがら隅に見える背中がある。

握りしめればよかったと悔やむ手がある。

 

もう20年、いやもう10年、いやもう5年。

 

海であって、炎であって、愛であって。

空であって、剣であって、盾であった。

 

雷鳴が轟けばいいと願う。

西の。西の。その更にまた西の、西の果てで。

 

 

【介護】セクハラ老人の行動に介入して脳震盪起こした話

 

 

介護職の置かれた労働環境は厳しいものがある、らしいということはなんとなく知っていた。つもりだった。

2021年9月、私もそのド真ん中にいることをまざまざと思い知らされることになる。

 

手っ取り早く言えば、認知症男性の暴走を止めようとして頭を打ち、脳震盪になった。

 

勤務していたグループホームの入居者A、男性80代。

若い頃はトラックの運ちゃんで、かなりのイケイケ系だったらしい。男性職員に話しかけられると口調が過激になることが多々ある。「なんだァ!」「うるせえよこの野郎!」「馬鹿野郎め!」何かとつけて大声で正論を吐いては、他の入居者から「うるさいねえ」「怖いねえ」「いやだねえ」と言われるも……当の本人はどこ吹く風。かえって逆ギレすることも。口早にまくしたてようとするけども悲しいかな、寄る年波には勝てず。ろれつの回らぬまま唾を飛ばす。彼のことは苦手を通り越して大嫌いだったが筆を進める。

 

同じく入居者B、女性90代。

夫からDVを受けていたとか不倫をして大修羅場になったとか、そんな身の上話を聞いた気がするがはっきりと覚えていない。もっとも、事実なのか不明だしね。

「私もう死にたいの」「もうヤダこんなの」「誰か助けてお願いだから」「おじいちゃん助けて」

……口癖としてはだいたいこんな感じ。その都度「Bさんはね、もうあと20年は大丈夫だよ」「まぁまぁゆっくりいきましょ、ね?」「オレまだ20代だよー?」なんて軽口を叩いてやり過ごしてきた。

 

さて、この入居者A。男性職員に対してはやたらめったらと厳しいが女性職員となれば態度が急転する。ニマニマ笑いながら「はいよ」と穏やかに応じてくれる。

問題は、同じ入居者に対して手を出すことだった。暴行じゃない。性的な意味で。

施設のテーブルは2つあり、奥と手前で性格や会話頻度、体調面など考慮しつつ、座る人を分ける。すぐ激昂するAは奥、泣き言だらけでもまともな方のBは手前のテーブルに座らせている。

 

ここで気をつけるべきは「AとBを相対させない」こと。

Aを自分の旦那、もしくは恋人と勘違いしてるのか、BからAへのアプローチがまあまあな頻度で行われる。手を振ってみたり、「こっちに来て」と声を張り上げる。するとAは、ニマニマしながら立ち上がって、ヨタヨタとBがいる手前のテーブルに歩いて行こうとする。

脚の挙動不自由でタダでさえ立ち上がり要注意の人間が、女の尻を追いかけるためだけに動き出すと職員も相応の対応を迫られる。転倒リスク軽減のために気をそらしたり、トイレに誘導したりしてエンカウントさせないように動くが、大抵通用しない。

「(Bが)呼んだから来てるんじゃねえか!!どけこの野郎め!!」

と罵声が飛んでくる前提で心を決めないといけない。まあ、間違っちゃいないんだけども…...。

 

そして、事件が起きた。

当時のシフトは、私と社員の二人体制だった。社員はあくまで人手不足のヘルプなので利用者の身体に触れる介護は基本的にしない。食事作りや清掃、配膳、利用者との対話などが主になる。余談だがその社員、初任者研修受けてない。日本有数のクソデカ介護運営会社で初任者研修受けずにお仕事勤まっちゃってるのは逆にすごいと思う。

 

土日だったので事務室に人もいない。

社員の人に夕食を作ってもらいつつ、入居者をトイレへ誘導していたと思う。正直、この辺の記憶はやや曖昧だけども業務の流れに当てはめるとそうなる。

 

手前のテーブルにいたBが奥のAを手招きして呼び、Aはヨタヨタ歩いてくる。Aが立ち上がった時点で止めに行けばよかったが、他の対応中ですぐにはいけない。当然、私は間に割って入る。老人同士の乳繰り合いは全くもって需要がないし、仕事の邪魔。怒号を飛ばすAと揉み合いになり、そのあとの記憶がない。

 

後で聞いた話では、社員さんはちょうどしゃがんで食材の確認をしていたから肝心の現場は目撃していない。厨房から出てくるとすでに事は終わっていて、Aと私が二人とも倒れこんでいた。Aは異常なさそうだったが私が頭を抱え込んだまま反応がなかったので、Aをチェックしてから床に伸びてる私をどうにか休憩室に運び込んだらしい。椅子の近くに頭があったからぶつけたのかも、と。ありがとうございますホントに……。

余談だがBはプチパニックを起こして失禁していた。

気がついたら休憩室の天井が見えた。頭全体がズキズキしてめちゃめちゃ不愉快。知らない天井だ、じゃなくてよかったとしか言いようがない。

 

どうにか自分の足で休憩室から出てきて、何が起こったのか伝えたらしいのだがAとBの名前があべこべだった。介護職員が介助されるってなんぞ?格闘ゲームでダメージ受けた後、小鳥が頭でピヨピヨするような感じ。その後夜勤に入っている管理職が早めに施設にやってきて、30分ほど早く帰らせてもらえた。

 

「脳震盪だと思うから病院に行った方がいい」とのことで、自力で運転して最寄りの救急外来に飛び込んだ。問診の最中、看護師が「健忘あり…」と小声でつぶやいてたのがちょっと面白かった。聞かせるなよ、そんなワード。

医者と対面で座り、腕や肩を動かしたり視線を確認したりいろいろテストのようなことをやって「しばらく安静に過ごしてください」と言われて終わり。勿論、バッチリ労災扱いなので0円診察。その日は自宅に帰って体を休めることに集中した……。

 

という、毒にも薬にもならない体験談。フォローしてくださった社員さんには心の底から感謝を。Aはマジで許さないけども。

【日常】放浪の話

故あって、しばらくあちらこちらを放浪している。

 

今にも弾け飛びかけていた頭は妙にスンとしてしまっていて、なのに未だ心の濁りは収まらない。

 

空っぽのひび割れた瓶にあらゆる劇物を注ぎ入れ、猛烈に振り回すと果たしてどうなるだろう。おおよそまともな末路を迎えないだろうとは思う。未知の化学反応で瓶ごと粉々に割れ散らかすか。それともひびの箇所からじわりじわり漏れ出てくるか。はたまた蓋を跳ね飛ばし高く高く暴発するか。あるいは……さらなる劇物となってじっと瓶の中に湛えているだけか。一寸先は闇だ。

 

地獄の切れ端を煮詰めて放り出したような街を歩いて、気を失ったか眠ったかすら不透明で、それで尚鬱陶しいほどの朝が来て、埒が明かない言葉と心をただただ吐き出して、燃え尽き損ねた花を眺めては畏怖して、目に映る青が碧なのかもよく分からないまま、唯々漂っている。

 

ここはどこだ。どこにいこうか。もうどこにもいけないか。米津玄師かよ。

【日常】なんだろう、という話

なんだろう、と思うことばかり。

 

今の状況はなんだろう。

今の気持ちはなんだろう。

今の発言はなんだろう。

今の行動はなんだろう。

今の世界はなんだろう。

今の考えはなんだろう。

今動くべきはなんだろう。

今なすべきはなんだろう。

今行くべきはなんだろう。

今聞こえているものはなんだろう。

今踏み出すべきはなんだろう。

今この空間はなんだろう。

 

なんだろう、と思うことばかり。

 

【日常】メモ用紙の話


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普段から、A4サイズの裏紙を4分の1にちぎってメモ用紙として使っている。メモに特段のこだわりがあるわけでもないし、事務所に送られてくるDM FAXの再利用にちょうどいい。自宅に送られてくる広告や案内なんかも一枚ずつメモ用紙にする。

昭和バリバリの50年前ならいざ知らず……通常の地域密着型企業は、名前も知らない九州産のミカンとか箱で買わないし、素性もわからない大阪の中古車両業者に不要車両を買い取らせたりしない。そもそも論として誰だ、おまえら。

こんなDM、知らんぷりして放置するのも手段としては有効かもしれない。しかし無視を決め込めば送られてこなくなるか、と言われれば断じてNOだ。際限なく送られ続けて、FAX用紙を無駄に利用され続けて、こちらの損になるだけ……なので、送られてくる度に送信停止欄にチェックを入れてその場で送り返す。

FAXが送られていく最中、機械音を聞きながら「コレ送るにも弊社の通信費かかってるんだよなあ」と少し空しくなったりなんかして。

買い出し用のリストをガーッと書き殴ったり、電話での打ち合わせでちまちまっとメモしたり、このブログのネタを思いついたとき、短期のTo Doリストなんかに使ったりする。個人情報や機密情報なんかが書いてあるときはなるべく事前に弾くけど、たまーに載っちゃってる時もあるので終わったら可能な限りシュレッダーにかけて。

DM FAX送ったら3万円の罰金とか、なりませんかね……なりませんよね......。

【コロナ】アフターコロナでやりたいこと

「ため息をつくと健康によくない」だとか「幸せが逃げる」とか……まともな根拠もないくせしてよくもまあ言われる言葉だ。

 

知らねえよ、ため息ごときで逃げるような幸せなんか知ったことか馬鹿野郎。

 

なーんて、はてブロに毒吐いても大して何か変わるわけではない。というか、何も変わらないんだけど。

 

現在8月中旬。

世間は相も変わらず新型コロナの感染者数にデルタ株にラムダ株だのまん防だの5G接続だの喧々諤々えんやこらなんじゃこら、どこもかしこもやかましくて心底うんざりする。あと全然関係ないけどお魚のマンボウって「翻車魚」って書くんだね。変換予測機能、最高。

 

溜まってるんだよ、溜まりすぎてるんだよ。

コロナのせいでやるべきこと、やりたいことが溜まりすぎてるんだよ。

もしもコロナが完全収束……するのか?どうか、わからないけど、以前のような日常に戻れるのなら何をしたいかをちまちま書いていく。

 

 

・北海道のスキー場に行く

ゴールデン街で朝まで飲む

・県外に住む親戚たちに会いに行く

・神奈川の北海道みそラーメン屋「小林屋」に行く

・大学ゼミ時代の先生に会いに行く

・県内を原付バイクで回る

・大学周辺のご飯屋さんを回る

・首都圏の友人たちに会いに行く

・「コロナ終わったら飲み会しようね」と約束したすべての飲み会に参加する

・広島の大久野島、通称ウサギ島に行く。

 

バーッと書き出して思いつくのは大体この辺。

 

飲み薬開発してくれないかなぁ早く。

【思い出】グレーの瞳をした、優しい友人の話

梅雨入り直後の天気が嫌いだ。

歪な色した雨雲がジワジワとにじり寄ってくるのを眺めていると無性に気が沈んで万事が面倒な気分になるから、8年前に亡くなった友人の話でもしようと思う。

 

彼と知り合ったのは大体13年前。

自宅から数軒先にある空き地に家が建ち始め、聞けば外国人が引っ越してくるのだという。なんでも隣町で大工の仕事をしていて、日本人の奥さんと結婚したらしい。

自分は洋楽やアメリカンプロレスが好きだった影響で同年代よりも多少は英語が話せていたので、カナダ人がくると聞いて喜んでいた。

初対面がいつだったかは正確に覚えてないけれど、スラっとした身長に白髪交じりの頭。ピンクと白のチェックシャツにジーパン。白い歯に人の好さそうな笑顔をやけにハッキリと覚えている。実際ユーモアもあって時には真面目で、それでいて奥さんのことを愛していた「絵に描いたようなナイスガイ」だった。

優秀な職人だったと聞いていたが、既に一線から引いている彼は自宅の一階をカフェにしていて、窓際には世界各国の置物やマグネットが飾ってある。中でも目を引いたのが全長2メートルぐらいはあるラジコンボートで、自分で一から組み立てては湖や池で操縦するのが趣味なんだという。

何度も遊びに行っていたし、学校帰りによく顔を合わせていた。稚拙な英語ではあったけれど、彼と会ったときはとにかく何かを話そうと必死だった。どれだけ文法が支離滅裂で単語があやふやでも、彼はいつも真剣に耳を傾けていて、できるだけ私にもわかる言葉を使って言葉を返してくれた。

 

私がまだ高校生だった頃、地元でそこそこ大きい地震が起きた。

自転車で登校してる最中に起きたらしく、学校に到着すると生徒全員が校庭に避難していた。あと、柔剣道場の時計が落ちて壊れたらしい。

「自宅が心配な生徒は早退しても構わない」と通達があったので一目散に家へと戻った。母親は地震に耐性がついてないし、食器棚や窓ガラスなんかが割れて怪我でもしていたら大変だ。

学校から川沿いの道路を、全力でペダルを漕いで猛スピードで下っていった。すると交差点のすぐそこに彼の家があって、ちょうど裏庭から出てくるのが見えた。工具箱を手にしていたから壁や建具の立て付けなんかを確認していたのかもしれない。その時話した内容を何故か今でも覚えている。

 

地震大丈夫だった?怪我は?」

私は何ともないよ、ワイフも無事だ。心配してくれてありがとう

「それは本当によかった。うちの母親は地震に慣れてないし、家にガラスのものも多い。早く戻らないと」

「早く戻ってあげた方がいい。それと、テレビが倒れたんだけどなんともないんだ。サムスン製だからじゃないかな?」

いやお茶目かよ。でもありがとう。

幸いにも母親は無事だったし、割れた食器もなかった。

 

その後私はギリッギリの成績でどうにかこうにか高校を卒業し、首都圏の大学に進学した。

数学なんか滅んじまえこの野郎。

大学生活初のゴールデンウィーク前日、講義を無事終わらせては友達と学食でたむろしつつ連休をどうやって過ごそうかと浮かれていた自分に、母親から一本の電話が入る。

 

彼が倒れて死んだ。

 

山中にある池でラジコンボートを浮かべて操縦していた最中、脳出血だったか脳梗塞だったかを起こしてその場で倒れ、登山客に発見されたけどその時にはもう手遅れだったんだと。

 

頭の中にあった楽しい予定を全消ししては、最低限の荷物をまとめて駅に走り、地元に飛んで行った。あまりにも急な出来事で涙が止まらなかった。

 

彼の家に駆けつけると遺影の周りにお供え物や好きだった物たちが並べられた簡素な祭壇ができあがっていて、自分はその前で泣くことしかできなかった。葬儀もしないしお墓も作らないという奥さんの意向で、その代わりなのか形見に彼の写真を一枚だけもらった。

 

今でも時折、彼を思い出すことがある。白髪混じりの頭にグレーの瞳をして、人の良さそうな顔で、奥さんのことを愛していた「絵に描いたようなナイスガイ」。

 

彼ともっともっと話したかったなぁ。

ラジコンボートや各国のマグネットを眺めて、挽いてくれる珈琲を飲みながら、いつも出してくれていたアルフォートを食べて、話して、聞いて。お互いに色んなことを伝え合いたかった。

 

せめて今は、彼が天国で笑っていてくれればいいなぁって思う。