梅雨入り直後の天気が嫌いだ。
歪な色した雨雲がジワジワとにじり寄ってくるのを眺めていると無性に気が沈んで万事が面倒な気分になるから、8年前に亡くなった友人の話でもしようと思う。
彼と知り合ったのは大体13年前。
自宅から数軒先にある空き地に家が建ち始め、聞けば外国人が引っ越してくるのだという。なんでも隣町で大工の仕事をしていて、日本人の奥さんと結婚したらしい。
自分は洋楽やアメリカンプロレスが好きだった影響で同年代よりも多少は英語が話せていたので、カナダ人がくると聞いて喜んでいた。
初対面がいつだったかは正確に覚えてないけれど、スラっとした身長に白髪交じりの頭。ピンクと白のチェックシャツにジーパン。白い歯に人の好さそうな笑顔をやけにハッキリと覚えている。実際ユーモアもあって時には真面目で、それでいて奥さんのことを愛していた「絵に描いたようなナイスガイ」だった。
優秀な職人だったと聞いていたが、既に一線から引いている彼は自宅の一階をカフェにしていて、窓際には世界各国の置物やマグネットが飾ってある。中でも目を引いたのが全長2メートルぐらいはあるラジコンボートで、自分で一から組み立てては湖や池で操縦するのが趣味なんだという。
何度も遊びに行っていたし、学校帰りによく顔を合わせていた。稚拙な英語ではあったけれど、彼と会ったときはとにかく何かを話そうと必死だった。どれだけ文法が支離滅裂で単語があやふやでも、彼はいつも真剣に耳を傾けていて、できるだけ私にもわかる言葉を使って言葉を返してくれた。
私がまだ高校生だった頃、地元でそこそこ大きい地震が起きた。
自転車で登校してる最中に起きたらしく、学校に到着すると生徒全員が校庭に避難していた。あと、柔剣道場の時計が落ちて壊れたらしい。
「自宅が心配な生徒は早退しても構わない」と通達があったので一目散に家へと戻った。母親は地震に耐性がついてないし、食器棚や窓ガラスなんかが割れて怪我でもしていたら大変だ。
学校から川沿いの道路を、全力でペダルを漕いで猛スピードで下っていった。すると交差点のすぐそこに彼の家があって、ちょうど裏庭から出てくるのが見えた。工具箱を手にしていたから壁や建具の立て付けなんかを確認していたのかもしれない。その時話した内容を何故か今でも覚えている。
「地震大丈夫だった?怪我は?」
「私は何ともないよ、ワイフも無事だ。心配してくれてありがとう」
「それは本当によかった。うちの母親は地震に慣れてないし、家にガラスのものも多い。早く戻らないと」
「早く戻ってあげた方がいい。それと、テレビが倒れたんだけどなんともないんだ。サムスン製だからじゃないかな?」
いやお茶目かよ。でもありがとう。
幸いにも母親は無事だったし、割れた食器もなかった。
その後私はギリッギリの成績でどうにかこうにか高校を卒業し、首都圏の大学に進学した。
数学なんか滅んじまえこの野郎。
大学生活初のゴールデンウィーク前日、講義を無事終わらせては友達と学食でたむろしつつ連休をどうやって過ごそうかと浮かれていた自分に、母親から一本の電話が入る。
彼が倒れて死んだ。
山中にある池でラジコンボートを浮かべて操縦していた最中、脳出血だったか脳梗塞だったかを起こしてその場で倒れ、登山客に発見されたけどその時にはもう手遅れだったんだと。
頭の中にあった楽しい予定を全消ししては、最低限の荷物をまとめて駅に走り、地元に飛んで行った。あまりにも急な出来事で涙が止まらなかった。
彼の家に駆けつけると遺影の周りにお供え物や好きだった物たちが並べられた簡素な祭壇ができあがっていて、自分はその前で泣くことしかできなかった。葬儀もしないしお墓も作らないという奥さんの意向で、その代わりなのか形見に彼の写真を一枚だけもらった。
今でも時折、彼を思い出すことがある。白髪混じりの頭にグレーの瞳をして、人の良さそうな顔で、奥さんのことを愛していた「絵に描いたようなナイスガイ」。
彼ともっともっと話したかったなぁ。
ラジコンボートや各国のマグネットを眺めて、挽いてくれる珈琲を飲みながら、いつも出してくれていたアルフォートを食べて、話して、聞いて。お互いに色んなことを伝え合いたかった。
せめて今は、彼が天国で笑っていてくれればいいなぁって思う。